はじめに
夜道で突然見知らぬ人物に絡まれた、酒の席で一方的に殴りかかってこられた…。このような状況で、自分や、その場にいる家族・友人の身に危険が迫ったとき、身を守るためにやむを得ず相手に反撃することがあります。
こうした反撃行為は、刑法で定められた「正当防衛」として、違法性が否定され、罪に問われない(無罪となる)可能性があります。「やられたからやり返した」という、ごく自然な自己防衛の行動です。
しかし、注意しなければならないのは、日本の法律において「正当防衛」が認められるためのハードルは、一般的に考えられているよりもかなり高いという事実です。
あなたの反撃が「身を守るためのやむを得ない範囲」を超えていると判断されれば、「過剰防衛」として処罰されたり、あるいは単なる「喧嘩」として、あなたも傷害罪の加害者として扱われたりする危険性が十分にあります。
この記事では、正当防衛が成立するための具体的な法的要件、そして多くの人が悩む「正当防衛」と「過剰防衛」の境界線はどこにあるのかを、過去の判例なども交えながら解説します。
Q&A
Q1. 相手は素手で殴りかかってきただけなのに、こちらが身近にあった傘や棒などで反撃したら、正当防衛にはなりませんか?
過剰防衛と判断される可能性が高まります。 正当防衛が認められるためには、反撃の手段や方法が、相手の攻撃に対して「相当性」を持つ必要があります。これを「武器対等の原則」と呼ぶことがあります。相手が素手であるのに対し、こちらが殺傷能力のある武器(棒、傘、石、ナイフなど)を使用した場合、それは「防衛の程度を超えた」行為と見なされやすくなります。ただし、相手が屈強な大男で、こちらは小柄な女性である、といった著しい体格差がある場合には、素手での反撃が不可能と認められ、武器の使用が正当化される余地もあります。
Q2. 口喧嘩の最中に、相手から「ぶっ殺すぞ」と言われたので、恐怖を感じて先に殴りかかりました。これは正当防衛ですか?
正当防衛とは認められない可能性があります。 正当防衛が成立するには、相手からの「急迫不正の侵害」、つまり、違法な攻撃が現に始まっているか、間近に迫っている必要があります。単なる言葉の脅し(「殺すぞ」という脅迫)だけでは、まだ具体的な身体への攻撃が始まっていないため、「侵害の急迫性」が認められにくいのです。この状況で先に手を出してしまうと、あなたの方が暴行罪・傷害罪の加害者と見なされてしまいます。
Q3. 相手が一旦攻撃をやめて逃げようとしたので、腹が立って追いかけて殴ってしまいました。これは正当防衛になりますか?
なりません。 これは正当防衛ではなく、単なる「報復」や「仕返し」と見なされます。Q2と同様、「侵害の急迫性」がすでに失われているからです。相手が攻撃をやめた、あるいは背中を向けて逃げ出した時点で、あなたに対する法益の侵害は終了しています。その後の攻撃は、防衛行為ではなく、新たな攻撃行為(違法な暴行)と評価されてしまいます。
解説
自分や他人を守るための正当な権利である「正当防衛」。その厳格な要件を、条文から読み解いていきましょう。
1. 正当防衛が成立するための「3つの要件」
正当防衛は、刑法第36条1項に定められています。
「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。」
この短い条文の中に、正当防衛が成立するための、以下の3つの重要な要件が全て含まれています。
要件①:「急迫不正の侵害」があること
これが、正当防衛が許される大前提です。
- 不正の侵害
法律に違反する攻撃のことです。殴る、蹴る、凶器で襲いかかるといった行為が典型例です。 - 急迫性
その「不正の侵害」が、現に存在しているか、または間近に迫っている状態を指します。- 認められない例①【過去の侵害】
昨日殴られたことへの仕返しとして、今日相手を殴る。(報復行為) - 認められない例②【未来の侵害】
「明日殴ってやる」と言われたので、今日のうちに先制攻撃を仕掛ける。(先制攻撃) - 認められない例③【侵害の終了後】
相手が逃げ出した後に、追いかけて攻撃する。(追撃行為)
- 認められない例①【過去の侵害】
要件②:「自己又は他人の権利を防衛するため」の意思があること
反撃行為が、あくまで「自分や他人の身体・生命・財産などを守るため」という防衛の意思に基づいて行われたことが必要です。
もし、相手の攻撃をきっかけとして、積極的に相手を攻撃し、痛めつけてやろうという「攻撃の意思」が生まれた場合、それはもはや防衛行為ではなく、単なる「喧嘩」と評価されてしまいます。
要件③:「やむを得ずにした行為」であること
これが、実務上最も判断が難しく、争点になりやすい要件です。この「やむを得ずにした」という言葉は、さらに2つの要素に分解されます。
- 防衛行為の「必要性」
その反撃行為以外に、侵害を避けるための他の適切な手段がなかったこと。例えば、逃げることが容易にできたのに、あえて反撃した場合などは、必要性が否定されることがあります。 - 防衛行為の「相当性」
行った反撃の手段や程度が、防衛という目的を達成するために必要な範囲を超えていないこと。簡単に言えば、「やりすぎていないか」という点です。
2. 「正当防衛」と「過剰防衛」を分ける境界線
要件③の「相当性」の範囲を逸脱してしまった場合、それは「過剰防衛」となります。
過剰防衛(刑法第36条2項)とは?
「防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。」
過剰防衛は、正当防衛のように「罰しない(無罪)」とはなりませんが、通常の傷害罪などと比べて、刑が軽くなったり(減軽)、免除されたりする可能性があります。
では、その境界線はどこで判断されるのでしょうか。裁判所は、以下の要素を総合的に考慮して、社会一般の常識に照らして判断します。
- 侵害の手段・程度 vs 防衛の手段・程度(武器対等の原則)
相手の攻撃は素手だったか、凶器だったか。それに対し、こちらは何を使って、どの程度の力で反撃したか。 - 侵害される法益 vs 侵害した法益のバランス
相手が何をしようとしていたか(軽い暴行か、生命を脅かす攻撃か)。それに対し、相手にどのような結果(軽い打撲か、重傷か)を与えたか。 - 当事者の属性
加害者と被害者の性別、年齢、体格、格闘技経験の有無など。
例えば、屈強な男に素手で殴られ続けた小柄な女性が、とっさにカバンで反撃して相手に怪我をさせたケースは正当防衛と認められやすいでしょう。しかし、逆に屈強な男が、小柄な女性に平手打ちされたことに対し、殴り倒して骨折させたようなケースは、過剰防衛、あるいは単なる傷害罪と判断される可能性が高いのです。
弁護士に相談するメリット
「喧嘩」として扱われるか、「正当防衛」として無罪を勝ち取れるかは、捜査の初期段階での主張と立証がすべてです。
- 一貫した「正当防衛」の主張
事件直後の混乱した状況では、ご自身で法的に整理して状況を説明することは困難です。弁護士は、あなたから詳細な事情を聞き取り、防犯カメラ映像などの客観的証拠を分析した上で、「本件は単なる喧嘩ではなく、正当防衛である」という一貫した主張を、捜査の初期段階から警察・検察に対して行います。 - 「喧嘩両成敗」という安易な処理への対抗
警察は、双方が手を出していると、安易に「喧嘩」として双方を立件しようとする傾向があります。弁護士は、どちらの攻撃が「不正の侵害」の始まりであったかを法的に明確にし、あなたが「防衛者」であったことを強く訴え、不起訴処分を求めます。 - 過剰防衛の主張による刑の減軽・免除
たとえ反撃が行き過ぎてしまったと認めざるを得ない場合でも、弁護士は諦めません。相手の執拗な攻撃によって、あなたがどれほど恐怖し、パニックに陥っていたか、その中で冷静な判断が不可能であったことなどを詳細に主張し、「過剰防衛」の適用による、最大限有利な処分(刑の減軽や免除)を目指します。
まとめ
正当防衛は、あなたに与えられた正当な権利です。しかし、その権利が認められるためのハードルは高く、その判断はきわめて専門的です。反撃のほんのわずかな違いが、「正当防衛(無罪)」、「過剰防衛(減軽・免除)」、そして「単なる傷害罪(処罰)」という異なる結果を招きます。
やむを得ず相手に手を出してしまい、ご自身の行為が正当防衛にあたるのではないかと考えている方は、決して一人で判断せず、警察の取り調べを受ける前に、弁護士法人長瀬総合法律事務所にご相談することもご検討ください。私たちが、あなたの正当な権利を守るために、法的な観点から最善の弁護活動を行います。
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