はじめに
もし、あなたやご家族が逮捕されてしまったら、その後の「取り調べ」が刑事事件全体の行方を左右する、きわめて重要な局面となります。閉鎖的な取調室で、連日、捜査のプロである警察官から厳しい追及を受け続けると、誰でも冷静な判断が難しくなります。その結果、意図せず自分に不利な内容を話してしまい、それらが「供述調書」という証拠になってしまうケースは後を絶ちません。
このような絶体絶命ともいえる状況で、ご自身を守るための最も強力な武器、それが憲法で保障された「黙秘権(もくひけん)」です。しかし、この権利もただ行使すればよいというものではありません。使い方を間違えると、かえって事態を悪化させる可能性すらあります。
この記事では、黙秘権とはそもそも何なのか、どのような場面で、どのように使うのが効果的なのか、そして黙秘権を行使する際の注意点について解説します。
Q&A
Q1. 黙秘権を使うと「反省していない」と思われて、かえって不利になりませんか?
これは非常に多くの方が抱く疑問であり、また捜査官がそのように誘導してくる典型的な言葉です。結論から言うと、黙秘権を行使したこと自体を理由に、裁判で刑が重くなることはありません。黙秘権は、不当な自白の強要から国民を守るための正当な権利です。ただし、罪を認めている事件で、反省の情を示すことが有利な情状となり得るのも事実です。そのため、事件の内容に応じて、完全に黙秘するのか、部分的に話すのかを戦略的に判断することが重要になります。
Q2. どのタイミングで黙秘権を使えばいいのでしょうか?
黙秘権は、取り調べの最初から最後まで、いつでも行使できます。特に、①無実の罪を疑われている(否認事件)、②容疑は認めているが事実関係の一部に争いがある、③逮捕直後で精神的に動揺し、冷静に話せる状態ではない、といったケースでは、黙秘権の行使を積極的に検討すべきです。安全な方法としては、弁護士と接見し、今後の供述方針を固めるまでは黙秘権を行使することです。「弁護士が来るまで一切話しません」と明確に伝えるのが効果的です。
Q3. 黙秘権を使ったら、本当に何もかも話さなくていいのですか?
はい、その通りです。事件に関する質問に対しては、一切答える義務はありません。氏名や生年月日といった、事件とは直接関係のない人定事項についても、答える義務はないとされています。ただし、実務上は、氏名などを話すことで円滑なコミュニケーションのきっかけとすることもあります。重要なのは、「何を話し、何を話さないか」をご自身でコントロールできる点です。完全に黙る「完黙」だけでなく、話したいことだけを話す「選択的供述」も可能です。
解説
それでは、あなたを守る盾となる「黙秘権」について、さらに詳しく見ていきましょう。
黙秘権とは?- あなたに保障された「話さない権利」
黙秘権は、憲法第38条1項で「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」と定められている、国民に保障された基本的人権の一つです。また、刑事訴訟法では、取り調べの前に、警察官や検察官が被疑者に対して黙秘権があることを告げなければならないと義務付けられています。
この権利の目的は、かつて捜査機関による拷問や脅迫によって、無実の人が嘘の自白を強要され、えん罪が生まれてしまった歴史への反省から、個人の人権を守ることにあります。
黙秘権の行使の仕方は、主に以下の3つのパターンに分けられます。
- 完全黙秘(完黙)
取り調べの最初から最後まで、事件に関する一切の質問に対して黙り続ける方法です。特に、やっていない罪で疑われている否認事件で有効です。 - 一部黙秘
大筋で容疑を認めているものの、犯行の経緯や動機など、一部納得できない部分についてのみ供述を拒否する方法です。 - 選択的供述
捜査官の質問に答える形ではなく、自分が話したいこと、主張したいことだけを一方的に話す方法です。
どの方法を選択すべきかは、事件の内容や今後の弁護方針によって異なります。
黙秘権を使うべき具体的な3つのケース
黙秘権は強力な権利ですが、やみくもに使えば良いわけではありません。戦略的な視点が不可欠です。ここでは、黙秘権の行使を特に検討すべき3つのケースをご紹介します。
ケース1:無実の罪を疑われている場合(否認事件)
これは、黙秘権が最もその価値を発揮する場面です。捜査機関は、あなたを「犯人である」という前提で取り調べを進め、そのストーリーに合致する供述を引き出そうとします。
もしあなたが無実を訴えても、不用意に様々なことを話してしまうと、その発言の一部だけを切り取られたり、揚げ足を取られたりして、あたかも罪を認めたかのような、あるいは状況に矛盾があるかのような供述調書を作成されてしまうリスクがあります。
例えば、「現場の近くには行ったが、やっていない」と話したとします。すると、「被疑者は、犯行現場付近にいたことは認めている」という部分だけが強調された調書が作られかねません。
このような事態を防ぐため、否認事件では、弁護士と今後の対応を協議できるまで完全黙秘を貫くのが一つの戦略となります。
ケース2:罪を認めているが、内容に争いがある場合
罪自体は認めていても、その詳細な内容について捜査機関の認識と食い違いがある場合も、黙秘権は有効です。
- 傷害事件の例
相手に殴られたので殴り返した(正当防衛を主張したい)が、捜査官は一方的な暴行と決めつけている。
このような場合、争いのない事実(相手と接触があったことなど)は認めたうえで、争点となる部分(正当防衛の状況、故意の有無など)については、弁護士と相談するまで話さない、という「一部黙秘」が有効な戦略となります。
ケース3:記憶が曖昧、または精神的に動揺している場合
逮捕という非日常的な事態に直面し、精神的に動揺している中で行われる取り調べは、きわめて危険です。記憶が混乱しているのに、捜査官に促されるままに曖昧な供述をしてしまうと、それが確定的な事実として調書に残ってしまいます。
このような時は、無理に話す必要は全くありません。「今は動揺していて、冷静に話せる状態ではありません。弁護士と会ってから話します」と伝え、黙秘権を行使しましょう。これは、あなたの権利を守るだけでなく、冷静さを取り戻し、記憶を整理するための時間を確保するという意味でも重要です。
黙秘権の上手な使い方と「供述調書」への対応
黙秘権を効果的に使うためには、いくつかのポイントと注意点があります。
- 意思を明確に伝える
ただ黙っているだけでは、捜査官は質問を続けます。「私は黙秘権を行使します」とはっきりと意思表示することが重要です。 - 供述調書への署名・押印は絶対にしない
黙秘権と並んで重要なのが「署名押印拒否権」です。取り調べの最後に、警察官は供述調書を提示し、内容を確認した上で署名と押印(指印)を求めてきます。たとえ黙秘を貫いたとしても、「被疑者は終始黙秘していた」といった内容の調書が作成されることがあります。どのような内容であれ、一度サインをしてしまうと、その内容に同意したと見なされ、後から覆すことはほぼ不可能です。内容に少しでも納得できない点があれば、決して署名・押印をしてはいけません。これは黙秘権とセットで押さえておくべきポイントです。 - 黙秘権のデメリットという誤解
捜査官は「黙っていると反省していないと思われ、裁判官の心証が悪くなるぞ」と言ってくるかもしれません。しかし、これは被疑者を揺さぶるための常套句です。黙秘権の行使が、それ自体で不利益な量刑判断につながることはありません。ただし、全面的に罪を認め、深く反省している事件であれば、正直に供述し、反省の態度を示すことが、結果的に早期の身柄解放や軽い処分につながることもあります。だからこそ、弁護士との相談が不可欠なのです。
弁護士に相談するメリット
黙秘権を適切かつ効果的に行使するためには、弁護士のサポートが欠かせません。
- 黙秘権を使うべきかの的確な判断
ご本人から詳しく話を聞き、事件の見通しを立てた上で、完全黙秘、一部黙秘、あるいは正直に話すなど、あなたにとって最も有利な供述方針をアドバイスします。 - 黙秘権行使のバックアップ
弁護士が「私が接見するまで、一切話す必要はありません」と本人に伝え、捜査機関にもその旨を申し入れることで、不当な取り調べを効果的に牽制します。弁護士の存在が、ご本人が安心して黙秘権を行使するための支えとなります。 - 供述調書の徹底的なチェック
接見の際に、ご本人がサインを求められている供述調書の内容を、法的な観点から厳しくチェックします。少しでも不利な記述や事実に反する部分があれば、署名を拒否するよう助言します。 - 黙秘以外の防御活動の推進
ご本人が黙秘権を行使して時間を稼いでいる間に、弁護士は被害者との示談交渉を進めたり、アリバイ証拠を収集したりと、水面下で様々な防御活動を展開し、早期解決を目指します。
まとめ
黙秘権は、不当な捜査からあなたの身を守り、えん罪を防止するために憲法が保障した、きわめて強力な権利です。特に、無実を主張する事件や、事実関係に争いがある事件では、この権利を最大限に活用すべきです。
しかし、その行使は時として諸刃の剣にもなり得ます。事件の性質を見極めず、ただ黙秘を続けることが最善策とは限らないケースもあります。重要なのは、事件の状況に応じた戦略的な権利の行使です。
そして、その戦略を立てるためには、刑事弁護に関する知識と経験を持つ弁護士のサポートが有益です。取り調べが本格化する前に、一刻も早く弁護士に相談し、万全の態勢で臨むこと。それが、あなたの未来を守るための一手です。弁護士法人長瀬総合法律事務所では、逮捕直後からの迅速な対応で、あなたの大切な権利を守ります。
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