はじめに
満員電車や駅のホームなどで発生する「痴漢」。ニュースなどで頻繁に耳にする、きわめて卑劣な犯罪です。もし、ご自身やご家族が痴漢の疑いをかけられてしまったら、一体どのような刑罰が科されるのか、強い不安に駆られることでしょう。
実は、「痴漢罪」という名前の犯罪は法律上存在しません。痴漢行為は、その態様や悪質性の程度によって、主に各都道府県の「迷惑防止条例」と、刑法の「不同意わいせつ罪」という、2つの異なる法律によって罰せられます。
そして、このどちらの法律が適用されるかによって、科される刑罰の重さは天と地ほどの差があります。特に、2023年7月に刑法が改正され、従来の「強制わいせつ罪」が「不同意わいせつ罪」へと変わったことで、これまで以上に重い罪に問われる可能性が出てきました。
この記事では、痴漢行為に適用される2つの罪は具体的に何が違うのか、それぞれの刑罰の重さ、そしてどのような場合に重い「不同意わいせつ罪」に問われてしまうのかについて解説します。
Q&A
Q1. 満員電車で、故意ではなく手が当たってしまっただけでも、痴漢になりますか?
痴漢が犯罪として成立するためには、原則として「故意」、つまり、わいせつな目的で相手の身体に触れようという意思が必要です。したがって、満員電車の揺れなどで不可抗力的に身体が接触してしまっただけであれば、犯罪は成立しません。しかし、問題は、あなたの内心は目に見えないということです。被害者が「故意に触られた」と感じて被害を訴え、その場の状況などから警察が故意があったと判断すれば、逮捕されてしまう可能性は十分にあります。その後の取り調べで、安易に「当たったかもしれません」などと曖昧な供述をすると、罪を認めたと解釈されかねないため、対応には細心の注意が必要です。
Q2. 迷惑防止条例違反と不同意わいせつ罪では、前科の重さに違いはありますか?
はい、大きく異なります。どちらも有罪になれば「前科」が付きますが、その内容は全く違います。迷惑防止条例違反は、罰金刑で済むことも多く、その場合は比較的軽い前科と見なされます。一方、不同意わいせつ罪には罰金刑がなく、起訴されれば公開の法廷で審理され、懲役刑(2025年からは拘禁刑)が科される可能性のある、きわめて重い性犯罪としての前科になります。この前科は、就職や資格取得、海外渡航など、将来の社会生活において、より深刻な不利益をもたらす可能性があります。
Q3. 昔の痴漢行為が、後から新しい「不同意わいせつ罪」で訴えられることはありますか?
法律には「刑罰法規不遡及の原則」という原則があり、ある行為を罰する法律は、その法律が施行された後の行為にしか適用されません。不同意わいせつ罪は2023年7月13日に施行されましたので、それ以前の痴漢行為に対して、新しい不同意わいせつ罪が適用されることはありません。 ただし、その場合でも、当時の「強制わいせつ罪」の要件を満たしていれば、そちらの罪で処罰される可能性は残ります。
解説
痴漢行為に科される刑罰は、どの法律が適用されるかで大きく変わります。それぞれの法律の内容を詳しく見ていきましょう。
1. 比較的軽微な痴漢に適用される「迷惑防止条例違反」
まず、多くの痴漢事件で適用されるのが、各都道府県が定めている「迷惑防止条例」です。ここでは、全国で最も認知件数が多い東京都の「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例」を例に解説します。
成立要件
東京都の迷惑防止条例第5条1項1号では、痴漢行為を以下のように規定しています。
「何人も、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であつて、次に掲げるものをしてはならない。
一 公共の場所又は公共の乗物において、衣服その他の身に着ける物の上から、又は直接に人の身体に触れること。」
ポイントは以下の3つです。
- 場所
「公共の場所(道路、公園、駅など)」または「公共の乗物(電車、バスなど)」 - 行為
衣服の上から、または直接身体に触れること - 結果
「人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせる」こと
満員電車内でお尻や太もも、胸などを服の上から触る、といった典型的な痴漢行為がこれにあたります。
刑罰の重さ
- 通常の場合
6月以下の拘禁刑または50万円以下の罰金 - 常習の場合
1年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金
「常習」とは、過去にも同種の犯罪を繰り返している場合などに認定され、より重く処罰されます。罰金刑の可能性があるとはいえ、懲役刑も定められており、決して軽い罪ではありません。
2. 悪質な痴漢に適用される「不同意わいせつ罪」
次に、より悪質・巧妙な痴漢行為に適用されるのが、刑法に定められた「不同意わいせつ罪」です。これは、2023年7月13日に施行された改正刑法で、従来の「強制わいせつ罪」と「準強制わいせつ罪」が統合・改正されて新設されたものです。
成立要件
不同意わいせつ罪は、相手が「同意しない意思」を形成したり、表明したり、その意思を貫いたりすることが困難な状態にさせて、またはそのような状態にあることに乗じてわいせつな行為をした場合に成立します。
法律では、その状態にさせる原因として、以下の8つの類型を具体的に挙げています。
- 暴行または脅迫を用いること
- 心身の障害を生じさせること
- アルコールまたは薬物を摂取させること
- 睡眠その他の意識が明瞭でない状態にさせること
- 同意しない旨を示すいとまを与えないこと
- 予想と異なる事態に直面させて恐怖させ、または驚愕させること
- 虐待に起因する心理的反応を生じさせること
- 経済的または社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること
痴漢行為との関係で特に重要なのは、1番の「暴行または脅迫」と、6番の「恐怖・驚愕」です。
例えば、以下のようなケースでは、単なる迷惑防止条例違反ではなく、不同意わいせつ罪が成立する可能性が高まります。
- 相手の手首を掴んだり、壁に押さえつけたりして痴漢行為に及んだ場合(暴行)
- 「騒いだらどうなるか分かってるんだろうな」などと言って痴漢行為に及んだ場合(脅迫)
- 服の中に手を入れ、下着を降ろすなどの悪質な行為をした場合(暴行と評価される可能性)
- 突然痴漢され、被害者が恐怖で声も出せず固まってしまった状態に乗じて行為を続けた場合(恐怖・驚愕)
刑罰の重さ
刑罰:6月以上10年以下の拘禁刑
「拘禁刑」とは、2025年6月1日から施行される、従来の懲役(刑務作業が義務)と禁錮(刑務作業が任意)を一本化した新しい刑罰です。それまでは「懲役刑」が科されます。
最も重要な点は、不同意わいせつ罪には罰金刑がないということです。起訴されれば、必ず公開の法廷で刑事裁判を受けることになり、有罪となれば執行猶予が付かない限り、刑務所に収監されることになります。
3. 迷惑防止条例違反か、不同意わいせつ罪か?運命の分かれ道
では、どのような基準でどちらの罪が適用されるかが決まるのでしょうか。その境界線は、以下の点によって判断されます。
- 行為の態様
服の上から軽く触れる程度であれば条例違反、一方で、服の中に手を入れる、長時間にわたり執拗に触り続ける、といった行為は不同意わいせつ罪と判断される傾向にあります。 - 暴行・脅迫の有無
身体を押さえつける、言葉で脅すといった行為があれば、明確に不同意わいせつ罪の領域に入ります。 - 場所
迷惑防止条例は「公共の場所・乗物」に限定されています。そのため、個室トイレやエレベーター内、オフィス内などでの痴漢行為は、条例の適用外となり、不同意わいせつ罪での立件が検討されます。 - 被害者の供述
被害者がどの程度の恐怖を感じ、抵抗することがいかに困難であったかを具体的に供述した場合、それは不同意わいせつ罪の成立を裏付ける強力な証拠となります。
最終的にどちらの罪名で捜査を進め、起訴するかは、警察・検察の判断に委ねられています。
弁護士に相談するメリット
痴漢の容疑をかけられた場合、早期に弁護士に相談することで、事態の悪化を防ぐことができます。
- 重い罪名の適用を回避するための活動
捜査の初期段階で弁護士が介入し、警察や検察に対して、本件は悪質な不同意わいせつ罪には当たらない、という意見書を提出するなどして、より刑罰の軽い迷惑防止条例違反での処理を目指す活動を行います。 - 不起訴処分に向けた迅速な示談交渉
どちらの罪に問われた場合でも、被害者との示談の成否が、その後の処分を決定づける最も重要な要素です。弁護士が代理人として被害者の方に真摯に謝罪し、適切な示談金を支払うことで、被害者の許し(宥恕)を得られれば、検察官が不起訴(起訴猶予)処分とする可能性が格段に高まります。 - 取り調べへの的確なアドバイス
逮捕されている場合はもちろん、在宅事件の場合でも、取り調べで不利な供述調書を作成されないよう、黙秘権の適切な使い方など、法的な防御策を具体的にアドバイスします。
まとめ
痴漢行為は、迷惑防止条例違反と不同意わいせつ罪の、どちらが適用されるかによって、その後の人生が大きく変わってしまいます。特に、2023年の刑法改正により、これまでより広い範囲の行為が、罰金刑のない重罪である「不同意わいせつ罪」として処罰される可能性が高まりました。
「ちょっと触っただけ」という安易な認識は、通用しません。事態が深刻化する前に、一日も早く刑事事件、特に性犯罪の弁護に精通した弁護士法人長瀬総合法律事務所にご相談ください。私たちが、最善の解決に向けてサポートいたします。
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