はじめに
夜道を歩いていると、突然パトカーが停まり、警察官から「すみません、ちょっとよろしいですか」と声をかけられる。いわゆる「職務質問」です。さらに、持ち物を見せるよう求められ、挙動が不審だと判断されると、「任意でいいので、警察署まで来て、尿検査に協力してもらえませんか?」と、同行を求められることがあります。
薬物など、やましいことが何もない方にとっては、「疑いを晴らすために協力しよう」と思うかもしれません。しかし、一方で「なぜ自分が?」「プライバシーの侵害ではないか」と、理不尽さや不快感を覚えるのも当然の感情です。
そもそも、警察官に求められた尿検査は、必ず応じなければならないのでしょうか。どこまで拒否することができ、もし拒否したら、どうなってしまうのでしょうか。
この記事では、職務質問に伴って行われる尿検査について、その法的な根拠、「任意」と「強制」の決定的な違い、そして私たち市民に保障された「拒否する権利」について解説します。
Q&A
Q1. 尿検査を「任意ですから」と言われたので断ったら、「協力しないと、君が怪しいってことになるだけだぞ」と言われました。それでも断り続けて、逮捕されることはありますか?
尿検査を拒否したこと、それ自体を理由として逮捕されることはありません。なぜなら、尿検査はあくまで「任意」であり、あなたにはそれを拒否する明確な権利があるからです。「協力しないと不利になる」といった警察官の発言は、あなたの任意性を侵害し、事実上の強制に当たる可能性のある、不適切な発言です。ただし、尿検査を拒否し続けている間に、警察官があなたの他の言動や所持品などから、薬物使用を裏付ける客観的な証拠を発見し、裁判所に逮捕状を請求する、という可能性は理論上あり得ます。
Q2. 警察官の強い説得に負けて、一度は任意で尿検査に応じてしまいました。もし、それで薬物反応が出た場合、後から「あの同意は本当の任意ではなかった」と主張して、その結果を無効にすることはできますか?
裁判では、「違法収集証拠排除法則」という原則があり、違法な捜査によって得られた証拠は、裁判で使うことができない、とされています。もし、あなたが尿検査に応じた経緯が、警察官による長時間の引き留めや、心理的な圧迫、あるいは偽りの説明によるものであり、あなたの「真に自由な意思」に基づいた同意ではなかったと裁判所が判断した場合、その尿検査の結果は違法な証拠として排除されます。その結果、検察官は有罪を立証する手段を失い、無罪判決となる可能性があります。
Q3. 警察署に任意同行されて、尿検査を断っているのに、何時間も部屋から出してくれません。これは違法ではないですか?
違法な身柄拘束にあたる可能性があります。「任意同行」は、あくまであなたの同意に基づいて行われるものです。警察官が、あなたを物理的に妨害したり、「まだ帰れない」と言って引き留めたりする行為は、事実上の「逮捕」と同じ状態です。もし、警察官が逮捕状を持っていないのであれば、それは令状のない違法な身柄拘束であり、あなたは直ちに解放を求め、弁護士を呼ぶ権利があります。
解説
1.尿検査の法的根拠と「任意捜査」という原則
まず、警察官が行う捜査活動は、法律によって厳格にルールが定められています。
刑事訴訟法の原則
刑事訴訟法は、「強制の処分は、この法律に特別の定がある場合でなければ、これをすることができない」と定めています。これは「任意捜査の原則」と呼ばれ、捜査は本人の同意に基づいて任意で行うのが基本であり、令状など法律の根拠がない限り、強制的な処分は一切許されない、という日本の刑事手続きにおける原則です。
尿検査の位置づけ
尿の採取(採尿)は、本人の身体の内部から排泄物を採取する行為であり、個人の尊厳やプライバシーを著しく侵害する可能性のあるデリケートな行為です。しかし、この尿検査を強制的に行うための、明確な法律の規定は、令状手続きを除いて存在しません。
結論:尿検査は「任意」であり、「拒否する権利」がある
以上のことから、警察官が令状を持たずにあなたに求める尿検査は、あなたの真に自由な意思による「同意」がなければ行うことができない「任意捜査」です。したがって、あなたには、その要請を拒否する権利が保障されています。
2.「任意採尿」と「強制採尿」の決定的な違い
尿検査には、あなたの同意に基づく「任意採尿」と、裁判官の令状に基づく「強制採尿」の2種類があります。
任意採尿
- 要件:本人の真に自由な意思に基づく、明確な同意があること。
- 方法:警察署のトイレなどで、警察官から渡された紙コップに、本人が自らの意思で排尿する。
- 拒否する権利:任意であるため、いつでも、いかなる理由でも、拒否することができます。警察官が「疑いを晴らすためだ」「君のためだ」などと説得を試みても、それに応じる義務はありません。
強制採尿
- 要件:裁判官が、その必要性と相当性を審査した上で発付した「採尿令状(身体検査令状の一種)」があること。
- 令状が発付される条件:
- 薬物を使用したことを疑うに足りる、客観的で相当な理由があること(例:腕に多数の注射痕がある、言動が著しく支離滅裂である、など)。
- かつ、本人が任意での採尿を頑なに拒否し、他に証拠を入手することが困難であること。
- 方法:医師が、病院などの施設で、本人の意思に反して、尿道にカテーテル(細い管)を挿入し、強制的に膀胱から尿を採取します。これは、身体に対するきわめて強力な強制処分です。
- 拒否した場合:適法な令状の執行であるため、これに物理的に抵抗すれば、公務執行妨害罪に問われる可能性があります。
3.職務質問の現場で、あなたの権利を守るための対応
では、実際に警察官から尿検査を求められたら、どう対応すべきでしょうか。
対応①:まずは、令状の有無を確認する
「それは、任意ですか、それとも令状のある強制ですか?」と、冷静に確認しましょう。もし警察官が令状を提示できないのであれば、それは任意捜査であり、あなたに応じる義務はありません。
対応②:毅然と、冷静に、拒否の意思を明確に伝える
「任意であるならば、協力する義務はないと理解していますので、お断りします」と、はっきりと、しかし丁寧な言葉で拒否の意思を伝えましょう。感情的になって大声を出したり、警察官を罵倒したりすると、別のトラブルの原因になりかねません。
対応③:執拗な説得や、長時間の引き留めには屈しない
警察官は、なかなか諦めずに説得を続けるかもしれません。しかし、あなたの意思が変わらない以上、それ以上あなたを拘束することはできません。「任意ですので、私はもう帰ります」と、その場を立ち去る意思を明確に示してください。もし、腕を掴まれたり、進路を妨害されたりして、帰ることができないのであれば、それは違法な身柄拘束にあたる可能性があります。
対応④:「弁護士に連絡します」と伝える
状況が膠着したり、警察官の行為が違法だと感じたりした場合は、「弁護士に電話で相談します」と伝えることが効果的です。弁護士に電話を代わってもらい、警察官と直接話をしてもらうことで、警察官も違法な捜査を続けることが困難になります。
弁護士に相談するメリット
職務質問や尿検査といった、警察権力と直接対峙する場面において、弁護士はあなたの権利を守るための強力な盾となります。
- 現場での違法な捜査を、その場で阻止する
あなたが現場から弁護士に電話をすれば、弁護士は電話口で警察官に対し、「その行為は任意性を逸脱しており違法である」「直ちに本人を解放しなさい」と、法的な根拠に基づいて抗議し、不当な捜査をその場で中止を求めます。 - 違法な証拠を、裁判で排除する
もし、違法な手続きで採尿され、その結果が有罪の証拠として使われそうになった場合、弁護士は裁判で、その証拠の無効(証拠能力の否定)を争います。証拠の収集過程における警察の違法性を立証し、裁判官にその証拠を採用させないことで、無罪判決を勝ち取ることを目指します。 - 権力と対峙する、あなたの代理人となる
法律の知識と権限を持つ警察官に対し、一般市民が一人で立ち向かうのは、精神的にも知識的にも困難です。弁護士は、あなたの正当な権利を守るため、あなたに代わって権力と対等に渡り合う専門家です。
まとめ
警察官による職務質問の際の尿検査は、裁判官の令状がない限り、あくまで「任意」です。そして、あなたには、その要請を拒否する、憲法上・法律上の明確な権利があります。
警察官による「疑いが晴れるだけだから」「協力しないと不利になる」といった説得に、安易に応じる必要は一切ありません。「任意であるなら、お断りします」と、冷静に、しかし毅然とした態度で伝えることが、あなたのプライバシーと権利を守るための第一歩です。
もし、警察官の執拗な要求や、不当な身柄拘束によって、あなたの権利が侵害されていると感じたならば、それは専門家の助けが必要なサインです。直ちに弁護士にご相談ください。私たちが、不当な捜査からあなたを守ります。
その他の刑事事件コラムはこちら
初回無料|お問い合わせはお気軽に